(幼少期〜高校)

寿司屋同士の結婚で、両親から商売人DNAを100%引き継いで生まれた一人娘。

幼い頃は負けん気が強く、大人や年上のいとこと同じことをやれないと拗ねて泣き出すほど。両親は仕事で忙しく、親戚やお客様、近くのお店の店主や店長と過ごすなど沢山の人たちに見守られながら育つ。

小学校3年生の頃、両親の離婚により、周囲の目を気にしながら過ごすようになり、大人しくなる。

小学時代に中国人の同級生がいたことがきっかけで「外国語」に興味を持つ。

それがきっかけで中学受験するも失敗。もともとコツコツと努力を人一倍重ねるタイプだっただけに、この経験がその後も影響するほど、「自己肯定感の低さ」に影響を与える。しかし、高校受験直前に二ヶ月余りで偏差値39から67へ飛躍的な成長を遂げ、かろうじて「英語への夢」を復活させる。高校時代は英語だけに打ち込んだガリ勉時代。高校2年時に初めてイギリスに一ヶ月の短期留学を経験。机上の勉強と「コミュニケーション」としての英語の違いをリアルに体験し、帰国後はコミュニケーションにも力を入れてさらに英語をガリガリ勉強し続ける。しかし、根っからの本番の弱さが仇になり、大学受験でも第一志望校不合格。教育制度改革のため、「浪人」を選択せず、第二志望の大学へ進学する。「コツコツと努力を重ねて人一倍頑張っても、なかなか手に入らない人生」の体験と記憶を刻んでいく。

(大学〜社会人)

第二志望の私立大学入学が「留学断念」の決定だとなる。「海外へ行きたい」という想いが諦めきれなかったある日、大学ロビーに置かれていたパンフレットがきっかけで、導かれるようにヨーロッパでの国際交流ボランティア活動に参加。海外へ一人渡航し、諸外国の学生たちと3週間の共同生活をしながらボランティア活動に参加。その前後にバックパッカーとして一人で各国を回るなどし、高校時代とは違ったリアルな世界での「サバイバル英語」と「度胸」を身につける。高校までの内気で大人しい性格が、国際ボランティア活動参加により一変。自分の想いを日本語で伝える能力をアップさせる。

卒業後は英語の能力を必要としない、大手食品卸商社へ就職。役員秘書の役割に加え、社外イベントでの司会を担当するなど、活発で忙しいOL生活を謳歌する。しかし、業務では英語を使わず、英語との距離感のある4年間を過ごす。

そんなある日、結婚と自分の人生について深く考え始めたことがきっかけで、「自分らしくできる仕事」「自分らしく生きる」ということを考え、退職を決断する。

(起業への道)

秘書として働いた4年6ヶ月の間に積み上げた自信がバラバラと崩れ落ちるような日々からスタート。自分の大切にしたいキーワードを見つけるために人生発のセミナー、「ソース」プログラムに参加する。自分のワクワクするものを仕事にするために食・英語・交流イベントなどを開催。2006年に「あなたも私も楽しめる時間と空間を提供する」をコンセプトにAira(相楽)を立ち上げ、100人のクリスマスイベントやホテルのスイートルームでの隠れ家パーティーなどを主催。また、「英語脳」を育てるユニークなメソッドを取り入れた英語塾にて講師として英語を再び教え始める。

(講師として)

英語講師としての仕事をスタートし、自分も生徒さんたちと同じように学び深めていくために英検1級の勉強をスタートさせる。しかし、ここで、過去の劣等感やできない自分と直面。自信を失いかけた頃、「アクティブ・ブレイン・セミナー」に出会う。脳のメカニズムを知った時、「人の脳力が開花するエッセンス」を過去の自分と同じように人生に立ち止まりそうになる人たちをサポートしたい!と運命に導かれるように「セミナー講師」としての人生をスタートさせる。その後、自らセミナー開催を積み重ね、学校法人、企業研修としてもセミナー講師、講演会などで登壇する。全ての学ぶ人たちと常に対等な立場で実体験をありのまま表現するスタイルが好評を得て、現在までに1000人以上の方々がセミナー、講演会に参加。

ソースで見つけた「自分にとって大切なキーワード」とアクティブ・ブレイン・セミナーでの「自己肯定力」「人間力」を融合し、英語を切り口にその人が本来持っている能力を引き出すため、日本全国、また海外にも活動の場所を広めながら日々自身も「英語道」を歩み続ける。